僕が自分で生きる年数を決めた理由
ちゃんと理由を書いておくと
僕が9年後に人生を卒業しようと
思ってる理由は2つあって😊✨
1つは、
『自分の人生に満足してるから』
自分の好きな事を仕事にして
お金を稼いだ経験もしたし
周りに稼がせる事もできた
旅行もいっぱい行ったし
美味しいものも食べたし
めちゃくちゃ、良い女性も抱いたし
割とハードモードな生い立ちだったけど
ぶっちゃけ、自分の人生に打ち勝った
って感じはする😊✨
それに、必要なもの、こと、知恵は残した
人生に満足してるから、
極端な話、あと、9年生きても
同じこと繰り返すんだよね😊✨
好きな事を仕事にして
お金稼いで、旅行行って
美味しいもの食べて、
いい女とセックスして
あとは、ゲームと漫画と、知識欲とか
んな感じで、細かーく色々な事はあるし
不満やネガティブなこともあるけど
大枠で、ざっと見ると
がむしゃらに生きてきて、
ふと気づくと、人生上がってたのよ😊✨
たまーに、あざとく満たされてないフリするけど
ぶっちゃけ、僕の人生は幸福なのよ
もちろん、9年も暇してるなんてお辛いので、
それこそ、チャレンジしたり、失敗したり
ステージアップしたり
いわゆる、生きてるなら、挑戦はしようよ
みたいな事はやるし😊✨
魂の全てを注いで、取り組みたい事もある
ただ、それは、スピリットが求める
『生き甲斐』みたいな話しで
僕、個人の人間としてはもう既に
この瞬間に分子結合が解けて
自分という存在の
全てが量子に還ったとしても
特に思い残す事はない
みたいな感覚はずっとあって
そう言う意味では、
我ながら自分は
儚い生き物なのだなと思う
それと、もう1つの理由は、
僕の祖母が動けなくなってからの
苦しい人生が長かった
と言うのが理由としては、ある
本人が、じいちゃん亡くして
『生きてる意味がない。○にたい』
って言い続けて20年以上かな
ずっと、苦しかったんだと思う
自分が動けない事ではなく
その世話をしてる娘(僕にとっては、母)
に対しての葛藤や罪悪感がね。
普段は偉そうにしてるのに
何かある度に謝っていた
『ごめんね、私のせいで』ってね。
血を分けた親族にも『まだなの?』って
陰で聞かれながらね😊✨
でも、まぁ、そんな祖母だったんだけど
最後に、病院のベッドでね
話せないけど、そろそろなんかな?
って思ってお見舞いに行ったら
僕の事が分かってるのかすら微妙だし
言葉も交わせなかったんだけど
意識はあって
目を見ると、今まで僕が見てきた
祖母の目の中で
1番透明で美しい目をしてて
その目の奥の光を見た時に
思ったんだよね
あっ、この朽ちていく肉体の奥には
まだ輝きと光を放ってる『魂』があるんだ
人は、肉体だけが人生ではなく
その奥に、永久に不滅の『魂』があって
やがて、肉体を、現世を卒業して
また、新しい旅に出るんだって
そんな風に思って、そこで割と
僕自身の死生観みたいなものが
ある程度決まったんだと思う😊✨
なので、9年後ってのは
僕にとっては
ちょうど、もう1サイクル
人生を回すには十分な時間であり
人間としても、スピリットとしても
1つの仕事を、役割を、楽しみを
やり終えて、新しい旅に出る事ができる
良いタイミングなんじゃないかな?
みたいに思ってる!
そう言う話なのです😊✨